昔むかしの思い出~1990年6月地球の裏側で

お久しぶりのあかおにです
私のW杯の思い出を…
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ブラジル国歌が流れる頃 街中には本当に人がいなくなってしまった
1時間程前から道路は家路を急ぐ人の車で大渋滞 苛立ちのクラクションが響き渡っていたのに…

1990年のW杯がイタリアで開催している時 私はサンパウロに住んでいた
世の中でサッカーのW杯なるものが行われていたのは 何となく知っていたけれど
ブラジルに来るまでは それがどれだけの人々を虜にしているのかはまるで解っていなかった

イタリアで試合は行われているので ブラジルでの生放送は真っ昼間
人々は朝 仕方なく一度は出勤するものの 
試合開始時間には一斉に家もしくはTVの見られる場所を目指す
(たしかTVはどのチャンネルを回してもブラジル戦の生中継だった)
ほぼ全国民が同じ行動をするので ここそこで大渋滞が起きる
それが前奏だけでも「君が代」より長いブラジル国歌がTVから聞こえる頃には
街中がシーンと静まり返る(だって本当にだーれも歩いてないし車も走ってないのよ)
静寂が破られる時 それはセレソンの誰かがゴールを決めた時
部屋の窓から叫びながら国旗を振り回す
そして勝利の瞬間から 再び街中は大渋滞が始まる
真面目なブラジレイロは急いで職場に戻る…はずないじゃん
ここからはお祭り騒ぎ 喜びのクラクション 国旗をかざし車に箱乗りする人たち
パウリスタ大通りは閉鎖され臨時のお祭り会場と化す

話には聞いていたものの ここまで徹底されているとは思いませんでした
まさに国民もセレソンも心をひとつにです

この年はグループ予選3試合全勝だったので 3回この状況が繰り返されました
決勝トーナメントの相手は宿敵アルゼンチン(この時はマラドーナも選手でした)
残念ながら0-1で負けてしまいました(たしかドゥンガもいましたね)

決勝トーナメントは休暇と重なっていたので
ブラジル人のファミリーと 郊外の農場付きの宿泊施設にいたのですが
ご主人は ポルトガル語も片言で サッカーのルールもさっぱり解らない私を相手に
部屋の小さなTVで1試合延々解説をしてくれました
(どことどこの試合かも憶えてないし 解説してくれる半分も解らなかったけれど… 
このことがサッカーの種を私の中に蒔いてくれたと感謝しています)
奥様はドイツ系のブラジル人でかわいい坊やはマテウスという名前でした
この年優勝したドイツチームのキャプテン(だったよね?)と同じ名前

日韓W杯の時 もうすぐ日本戦がはじまるという時間
私は家に帰る電車の中でした 
電車は空いていたし 交通渋滞もありません
それなりに盛り上がってはいたけれど 
初W杯体験をブラジルでしてしまった私は何か物足りなさを感じたものでした

ああ日本ではW杯はこんなものなんだな~
あんなに頑張って手にしたフランス大会の出場
期待ばかりが一人歩きしたドイツ大会の惨敗
国民的盛り上がりもいまひとつ

南アフリカ大会もはじまる前は 一部サッカーファンとマスコミだけが盛り上がり
国民はそっぽを向いていましたよね

「勝つ」って大きなことなんですね
グループ予選を2位通過
決勝トーナメントはPKまで粘ったものの結果はベスト16
でもこの大会はブラジル国民みたいではなかったけれど
日本国民の半分くらいは心をひとつにした瞬間があったと感じました
心のどこかにサッカーの種が蒔かれた人もいたのでは…

今回の活躍で 世界に飛び出していく選手も多いと思います
頑張って思い切りあばれてきて下さい!
でもJリーグにも まだまだたくさんのキラキラ輝く選手や
その可能性を秘めた若い選手達がいます
その選手達の活躍をもっと見に来てほしい
四角い画面の中の試合より ぜひライブの高揚を感じに日本各地のスタジアムへ
東京在住の方はぜひ味の素スタジアムへ

注意:FC東京の試合で今野選手が「あつまれ~」をやることはありません

by あかおに


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